卒業を間近に控えた、高校3年生の冬。
一瞬の出来事で私の人生が180度変わった。
2011年1月22日。
この日私は東京で開催された全日本卓球選手権の試合を終え、熊本空港から寮に向かっていた。
小学1年生の頃から始めた卓球は私の生活の軸となり、高校時代は卓球に青春を捧げた。地獄の寮生活。携帯禁止。休みなんて年に数回あるだけ。きつくて逃げ出したくなることもあった。
だが、頑張れば報われることもある。
3年生の時の県の高校総体では、団体・シングルス・ダブルスで優勝し三冠を達成できた。
全国大会で勝ち上がる難しさは痛感したが、卓球が好き。だから頑張れた。
高校卒業後も東京の大学で卓球をすることが決まっていたし、社会人でも続けたいと思っていた。当たり前に、私の人生には卓球があると思っていた。
その当たり前にあると思っていた人生が、簡単に奪われるとは誰が想像していただろうか。しかも、その試合の帰り道に・・・。
私が乗っていた車は、トラックと衝突した。
頸髄損傷(※1)
私は17歳の時
突然、手足の自由を奪われた。
事故に遭ったときの記憶はほぼない。
だんだんと息苦しくなっていく中で「もう死んじゃうのかな」と思ったこと。
耳元で「先輩、頭から血が・・・」と泣き叫ぶ後輩の声と、救急車の中で「名前はなんですか?」と、何度もなんども声をかけられたのはなんとなく覚えている。だんだんと眠気のようなものに襲われていたのは意識が遠のいていたかららしい。その後、気管挿管(※2)された。
次の日、ドクターヘリでせき損センターに搬送され手術が行われた。
ICUで目が覚めた時、自分の身に何が起こったのか、どうしてここにいるのかもわからなかった。おまけに頸髄損傷による後遺症で全身の力が入らず、その場で起き上がる事も手を動かすこともできなかった私は、病室に入ってきた両親を見て、
「そういえば、事故にあったんだっけ」
と、かすかに残っている記憶を思い出した。正直なところ、夢か現実なのかこの時はよく分からなかった。

- 頸髄損傷
- 頭部外傷
- 肋骨骨折
- 肺炎
- 左手小指壊死
こんな状態なのにも関わらず「早く退院して卓球の練習をしないと」とものすごく楽観視していた当時の自分が怖い。
そんな呑気なことを考えている私とは裏腹に、辛い宣告を受け悩んでいたのは両親だった。
「おそらく、一生自分の足で歩くことはできないでしょう」
当時未成年の私に、この現実を伝えるか伝えないかは両親に任せます。とのことだったらしい。
この時の両親の心境を考えると胸が痛くなる。
今伝えるべきか、伝えないべきか。結局、両親は伝えない選択をしたが、娘をこんな目に遭わせた人物を殴り倒したいくらい憎んだことだろう。それでも私の前では明るく振る舞ってくれた両親に、私は救われた。
起立性低血圧による血圧の乱れで体を起こすと貧血に。ご飯をまともに食べることもできない。声も小さくなり”蚊”みたいなか細い声。元気になるどころか段々と体が衰えていくのがわかった。
いつになったら外の景色を見れるんだろう
次第に、私の頭から”退院”という言葉は消えていった。
つづく
▼ウィキペディアより引用
※1:頸髄損傷とは
交通事故・スポーツ事故・高所からの転落等での頸椎の脱臼・骨折や頸髄自体の病気(腫瘍等)等により、頸髄を損傷して手足を動かしたり、痛みや温度等を感じたりすることができなくなってしまう(四肢麻痺)後遺障害。脊髄損傷で首の部分の脊髄の損傷を頸髄損傷と呼ぶ。
※2:気管挿管とは
口または鼻から喉頭を経由して「気管内チューブ」を挿入する気道確保方法。
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